平成不況はなぜかくも長引いたのか――「失われた十年」の真相

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「失われた十年」を語るにあたり、まず問うべきは、なぜ平成不況がこれほどまでに長期化したのか、という根本的な問題である。



昭和から平成に改元された1989年当時、日本はまだバブル景気の絶頂にあった。しかし、わずか2年後の1991年には景気に陰りが見え始め、1992年にはバブル経済の崩壊が決定的となる。以降、日本経済は深い不況の泥沼へと突入し、10年以上もの長期低迷に見舞われた。このように長く深刻な不況は、戦後では初めての経験であり、昭和恐慌以来の出来事であった。


構造的な変化に乗り遅れた日本経済


なぜこれほど長引いたのか。端的に言えば、世界がグローバル化と構造転換に進むなか、日本の経済運営はその変化に対応しきれず、必要な改革が後手に回ったためである。

もちろん、バブル崩壊の後遺症も無視はできない。だが、それだけを原因とするには不十分だ。21世紀初頭の世界は「大競争の時代」に突入しており、そこでは国の真の経済力――すなわち財政運営の健全性、金融システムの効率性、国際競争に晒されてこなかった産業分野の体質など――があからさまに問われる。

バブル景気や高度成長の陰に隠れていた日本の構造的な弱点、すなわち非効率な産業構造、高コスト体質、金融システムの脆弱性が、この時代の競争の荒波のなかで露呈した。

特に顕著だったのは、日本の賃金を含む「高コスト構造」である。気づけば、日本はドイツと並ぶ世界有数の高賃金国となっていた。こうした賃金水準は、バブル期の右肩上がりの成長下では吸収可能だったが、景気が停滞し、企業がリストラを進める中で急速に問題化する。

2004年には、日本の平均世帯年収は440万円にまで下がり、名目額で年間100万円以上の減少と推定される。これはデフレによる物価下落、非正規雇用の増加、そして企業のコスト削減努力の帰結でもあった。


国内市場に温存された非競争領域


日本経済は、自動車・電子・鉄鋼といった輸出産業が牽引してきたが、残りの国内志向の産業分野は、長らく国際競争とは無縁であり、高コスト体質が温存されてきた。グローバル競争の進展は、規制緩和と外資の参入を通じて、こうした非効率な領域の弱点を露わにした。

さらに輸出主導型の産業でさえ、為替変動や海外需要の変化に対応するために、海外生産や投資へと舵を切らざるを得なくなり、国内における雇用や生産の牽引力は次第に失われていった。


「国家の競争力」が問われる時代へ


このグローバル競争は、単なる企業や産業の競争力を超え、国家レベルの競争力――すなわち、マイケル・ポーター教授のいう「国の競争優位」が問われる時代をもたらした。

国家の競争力とは、中央政府や地方自治体の財政運営、公的企業や特殊法人の効率性など、公的部門全体のパフォーマンスを含む広範な概念である。したがって、これらに抜本的な改革を加えない限り、民間の努力だけでは国全体の競争力は向上しえない。

構造改革が不可避であることは明らかであったが、それは痛みを伴い、時間のかかるものである。この意味において、平成不況とは「構造改革不況」であったとも言える。


政策判断の誤りと金融危機の深層


しかしながら、平成不況が長引いた理由を構造改革の遅れだけに求めるのは片手落ちである。より本質的な問題は、不況が始まった当初の政府・政策当局による重大な判断ミスにあった。

当時の政策当局は、世界経済が構造的な転換期にあることを見誤り、従来通りの景気循環論に基づいて対応した。不況→生産調整→需給バランスの回復→景気回復という従来型のパターンに固執し、構造的な対応を怠ったのである。

このため、財政出動や金利引き下げといった需要刺激策に過度の期待を寄せ、構造改革に即座に着手すべきタイミングを逸した。この政策判断の誤りが、不況の長期化に拍車をかけたことは否定できない。

1995年前後には、官民ともに「景気は回復する」との楽観的な空気が支配しており、これが判断の誤りに拍車をかけた。筆者は、当時の経済企画庁長官が「来年の桜が咲く頃には景気は必ず回復する」と断言しながら、実際にはまったくその兆しが見えず、テレビ番組で苦しい弁明をしていた様子を今でも鮮明に記憶している。


金融システムの破綻と「失われた信認」


さらに、平成不況を深刻化させたもう一つの要因が、金融システムの実質的な破綻と、それに伴う信用不安である。

橋本内閣が導入した「日本版ビッグバン」は、金融の自由化とグローバル化を目指すもので、理論的には正しい方向であった。欧米諸国が1980年代に成し遂げた金融改革に倣い、日本もよりダイナミックな金融システムへと転換を図るべきだった。

しかし、日本の銀行は長年にわたり大蔵省主導の「護送船団方式」の保護の下にあったため、環境変化に適応する経営能力が十分に育っていなかった。ビッグバンの導入は、そうした準備が整わないまま一挙に断行された。その結果、銀行は突如として競争の荒波に投げ出され、金融システム全体が混乱に陥った。

とりわけ、政府の主導で設立された日本長期信用銀行(長銀)や日本債券信用銀行(日債銀)といった政策金融機関までもが相次いで破綻する事態に至った。彼らにとって、突然「市場と競争で勝負せよ」と命じられることは、到底現実的ではなかった。

後年、橋本元首相が「ビッグバンでこれほどの混乱が起きるとは思わなかった」と述懐したことは、この改革がいかに準備不足のまま導入されたかを象徴している。


結語:改革の遅れが招いた「失われた十年」


こうして振り返ると、平成不況とは単なる景気の低迷ではなく、時代の大きな構造転換と、それに対応しきれなかった日本経済・社会の「遅れ」がもたらした複合的な危機であった。

政策判断の誤り、構造改革の遅延、そして金融システムの不全。これらが絡み合い、平成の10年間を「失われた十年」と呼ばれるほどの経済的停滞へと導いたのである。

この歴史を他山の石としなければ、同じ過ちを再び繰り返すことになるだろう。





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